HSC幼児② 取られて抜かされてばかり

とにかく「私のように育ててはいけない」という不安にとらわれて、泣き虫で怖がりで慎重派な娘に苛立つ。その苛立ちは他の親子に向いてしまう事もありました。

慣れてきた支援センターで、娘がおもちゃで遊んでいると他の子がそのおもちゃを取っていく。

滑り台にチャレンジしたいけれどどんどん順番を抜かされてばかりで滑れない。

そんな場面がよくありました。

その時の私はおもちゃを取っていく子供に嫌悪感をもち、なんで注意しないのかとその母親に怒りを覚えました。

おもちゃを取られて、順番をぬかされてばかりの娘の姿が悔しくて、でも何も言えない。悲しそうにしている娘を助けてあげる事も出来ない、そんな事が遊び場や公園にいく大きなストレスとなっていました。

何もできない自分を棚に上げて、躾をしない母親が多すぎるなどど周りを批判し、自分はそうならないように周りに迷惑をかけないようにと娘には事あるごとに口うるさく注意していたのです。

だけどそれは間違いでした。

娘が2歳の頃から通い始めた幼児教室に通い始めたある時、廃材遊びをする日がありました。娘が組み立てた箱を別の走り回っている子に崩されてしまって娘は大泣き。

その場で先生が「びっくりしたね」と娘に声をかけてくれたのですが私は「娘が作ったものを崩されたんです!」と、走り回っている子に注意して欲しい気持ちからそんな風にまた苛立っていました。

ですがその時に教室の先生から「お母さんが他の子にやられたと言葉にしてしまうと傷つき体験となってしまうのであえてびっくりしたねという言葉を使いました。」そんな風に言われて私はハッとしました。

私の言葉や行動を娘はみている。その私が他責思考で「あの子のせいで泣いた」とか「取られて傷ついた」と考えていては娘もきっと同じように傷付き、相手を責めるようになってしまう。

おもちゃを取られたり、順番を抜かされたり、作ったものを崩されたりとやられてばっかりだとマイナスに受け取り悔しく感じてもやもやしているのは私で私が守ろうとしていたのは自分のプライドであり、そのせいで全く娘の気持ちに寄り添えていなかったのです。

娘が困った状況になった時に誰に何をされたとか他人を批判するのではなく私がするべき事は、「困ったときにはどうすればいいのか」私が手本となり娘に教えてあげる事なのだと気が付きました。

それからはそばに保護者がいない子に順番を抜かされそうになった時は「順番だからちょっと待ってね」とか、おもちゃを取られた時には「いま使ってるから待っててね、あとで交代しようね」などと声をかけるように心がけました。

それでもうまくいかない事はありましたが、守るべきは自分のプライドではないと気付きそうやって行動している内に、「娘の気持ちを尊重する事」「娘が自分を守るためにどう行動するべきか」そんな風に考えられるようになっていきました。

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