HSC幼児③ ありのままで大丈夫

苦手なものが多くてどこに行っても娘だけが泣いている、みんなが楽しそうにしているのに抱っこから降りられないという場面が多く、周りの楽しそうに遊ぶ子供達と比べてしまって、どうしたら皆と同じように出来るようになるのかと焦る気持ちから娘にきつく当たってしまう事もあれば、なかなか前に行けない娘の順番を抜かされたり、おもちゃを取られたりした時には抜かしたり取ったりする子の保護者はなぜ注意しないのかと周りを批判する気持ちばかりでどうにもならなくて辛いことが多かったです。

だけどとても単純な気持ちの切り替えでこの辛い気持ちが好転しました。

「泣き虫でもいいし、怖がりでもいいし、チャレンジ出来なくてもいい、逃げてもいい。ありのままで大丈夫。」たったこれだけでした。

そもそも私は自分の過去を否定していたので私のようにならないように育てないといけないと思っていました。

幼少期だけに留まらず大人になってからも泣き虫で嫌なことからは逃げてすぐに学校も仕事も行きたくなくなり休んだり辞めたり何事も続かなかった。何か一つの目標に向かって努力したこともなかったし、色んな事に興味をもって手を出しては途中で投げ出した。何かを成し遂げたこともなく特技など何もなくて・・・そんな私のような大人にしてはならない。その思いに支配されて育児をしていました。

なので娘が乳児期に通った支援センターで

「泣いててもいいよ」とA先生に言われて、無理に背中を押さなくても子供自身が前に進む時があるのだとわかっても、それでもまだ繊細で敏感な娘に母親として何とかしてあげなくてはという焦りが消える事はなく「なんでやらないの?」「そんなところに立ってるとまた順番ぬかされるよ、前にいきなさい」などと度々娘の背中を強引に押して、結果挑戦しなかった娘にがっかりするという事を繰り返しました。

それだけ自分を否定する気持ちが強かったのです。

そんな私でも「ありのままで大丈夫」と思えるようになったのは自己肯定感とHSCということばにであったからでした。

そもそも私自身の自己肯定感が低いのだと気が付いた時、内向的で泣き虫だった子供時代の私はどう感じていたか、どんな風に声をかけてほしかったのか。慎重派で怖がりなのはいけない事ではないと冷静に考えられるようになりました。

初めての場所で緊張する、他の子の輪に入っていけない、母以外の人に話しかけられて時に恥ずかしくて下を向いてしまう、そんな私が求めていたのは「大丈夫」という言葉でした。

それからは、積極的に出来ない娘の背中を無理に押すこともなくなり、出来るようになるまで待つことが出来るようになりました。泣く娘を抱きしめる事にも抵抗がなくなってきました。

出来ない事ややりたくない事、怖い時や不安な時、誰かに「きっと楽しいよ」「やってみよう!」など声をかけられて出来るようになるはずはなく、その背中を押す前向きな言葉によって出来ない自分を否定してしまうのだと気が付きました。

親の役割とは立派な子に育てる事ではなく、ありのままの子供を受け止め肯定し続けてあげる事なのだと思った日から、子育てを楽しめるようになってきました。

泣いてたら抱きしめてあげる。嫌がる事は無理強いしない。それは甘やかしだという人もいるかもしれないけれど、絶対に違うと私は信じて今日も子供達を肯定して過ごしていこうと思います。

泣いてたっていいし、他の子と比べなくていい、その子にしか見えていない景色がきっとあるから、今その時の我が子の感じている世界を大切にしてあげたいと思います。

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