違う事は不安な事

娘がある時「学校で自分のこと○○って呼んでるんだ」と言ってきた。

一般的に女の子が使う一人称ではなかったので驚いた。咄嗟に言葉が見つからずやっとの事で「なんで?」とだけ言うと「別に理由はないよ」とあっけらかんとした態度でいうのでその場では「そうなんだね」と答えたものの、頭の中では「なんで?」「周りのリアクションは?」と色んな事がグルグルしていた。なんと言ってあげるのが正解なのかわからず、どこからくるかわからない不安ともやもやだけを残してその会話は終わってしまった。

今どきはジェンダーレスの価値観が浸透してきているとはいえやはり我が子の突然のそれは動揺してしまった。

それとともにわざわざ私にそれを報告してきた娘。きっとそこに何か理由があるはず。このままこの話を「そうなんだ」で終わらせてはいけないと自分の気持ちを整理してみた。

まず私はいったいなにが不安なのかと考えてみると、「普通」という縛られた考えとそれと違った時に周りが浮いてしまうのではないか、そんなところ。また「普通」ではない事に理由が欲しかった。だから最初に出た言葉が「なんで?」だったし「理由はない」という娘に納得がいかなくてもやもやしていた。

では「普通」って何なのか。みんなと同じでなければいけない理由などない。第一人称などささいなこと。自分の娘ではなく他の誰かがそうやって自分の事を呼んでいてもきっと「そうなんだね」となんの疑問もなく受け止められると思う。自分の娘だから、「もしかしたら人から何か言われてしまうかもしれない」「傷ついて欲しくない」という親心から不安になっているのだと気付いた。

では何故娘が私にわざわざ伝えたのか、自分ならどうしてほしいか。もしかしたら「認めて欲しいだけ」なんじゃないかと思った。

その一人称が一般的ではないと本人はわかっていて、本当に大した理由はなくて、ただ認めて受け止めて欲しいだけなのかもしれない。いつも寝る前に伝える言葉、「どんなあなたも大好きよ」今こそこれを伝えるべきなのだと気付いた。普通とか世間が、友達がなんて関係ない。人と違う事に理由なんていらない。ただ「娘が○○と自分の事を呼ぶ」それだけの事。

自分の考えに整理が付いたので翌日、ご飯の準備をしながら娘に話をした。

「自分の事○○って呼んでるって話だけど・・・」少し娘の顔が緊張でこわばったのがわかった。「自分の事を何て呼ぶかは自由だし娘ちゃんがそう呼びたいならそれでいいんだよ。お母さんはどんなあなたも大好きだし、あなたが選んで決めた事をいつでも応援してる。いつでもあなたの味方だから。困ったことがあったらいつでも相談してね。」そう話をすると娘の緊張した顔がぱあっと晴れて、とっても明るい笑顔で「お母さんありがとう!!」そう言ってくれた。

子どものありのままを受け止めるってこういう事なんだなと、今までわかった気持ちではいたけれど、いざ我が子が人と違うと知った時にどう対応するべきか迷ってしまった。だけどこの一件をきっかけにしてわかった。子供達がどんな選択をしようと、絶対に私は子供達を応援し味方でいる。そうする事で悩み困った時にはきっと相談してくれるはず。

ちなみに下の子は男の子だけどピンクが大好き。もちろんその好きの気持ちも応援してる。性別に関わらず好きなものを好きと素直に思ってもらえるように。そして同じように他人の好きの気持ちも否定せず認めてあげられる人になって欲しいなと思う。

今の子供達は「男の子」「女の子」って気にしている子は少なくて、案外大人の方が縛られて気にしてしまっていることが多いのかもしれないですね。

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