【行き渋り】寄り添いと過保護の違いは何か考えてみた【不登校】

娘を出産してすぐは自分のようになって欲しくない不安から「出来る子」にしなければと娘に寄り添えていませんでした。その後寄り添い育児という言葉を知り、繊細な娘を守りたい一心で勘違いした寄り添いを行い、正に過保護のお手本のような母親になっていました。他責思考で娘を泣かせる他者を許せない気持ちが強かったです。また、「大丈夫?」「出来る?」「こうするんだよ。」と必要以上に声を掛けていました。

ですが様々な出会いの中で少しずつ勘違いした「寄り添い育児」を修正していきます。

この記事を投稿している現在、娘は小学生ですが時々行き渋りがあり、波はありますが平均して月に1日~3日ほどの欠席があります。原因は本人が自覚していないところにあるようです。天候や行事、お友達関係や習い事の疲れなどが関係しているのか「これ」という何かがあるわけではありません。

寄り添うとは何かを考えて自分なりの答えに近付く中で行きたくない理由は追及せず「娘がそれで納得しているのならそれでいい」と今の娘を受け止めています。子供が決めた事を尊重し応援する、そして助けを求めてきたら手を差し伸べる、それが寄り添い育児なのだと考えるようになりました。

昨今のSNSで「行き渋り」「不登校」というワードについて見ていると、不登校の原因は「叱らない育児」や「寄り添い育児」のせいであるというような投稿をみることがあります。

寄り添い育児はただの過保護であると取れるような投稿です。

寄り添うとは子供の価値観や考えを尊重し共に考える事であり我が子の要求を言われたままに通す過保護とは全く別物であると私は思います。

善悪をきちんと子供に伝える。駄目な事は駄目だと言い聞かせる。これらは「寄り添い育児」や「叱らない育児」とはまた違う話で親としての責任です。

では「行きたくない」という言葉が我が子から出てきたときどうするか。

●自分で「今日は休みたい」と決め、その気持ちを「あなたがそう思うならそうしよう」と親が認めてあげるのが寄り添う

●「行きたくないならお休みしていいよ」「行きなさい」と親が子供の行動を決める事は過保護

そうやって「誰が決めるか」こそが寄り添いと過保護の違いなのではないかと私は考えて、子供が行き渋った時に、登校するか欠席するかの判断を私がするのではなく娘本人に決めてもらっています。

甘やかしか?過保護か?親の決定を押し付けていないか?と不安になった時には、子供が答えを出したかどうかを冷静に考えるようにしています。

「休むと子供が言ったら休ませる」と、これだけを聞くと「子供の言いなりだ」なんて言われてしまうかもしれませんがここで大切なことは「何も話し合わずただなんでもかんでもOK」とはしていないという事。

大前提に、親子で大切にしたい事は何かをきちんと我が子と話し合っています。

学校は何の為に存在し、通う事でどんなメリットがあるのか。学校に行かなかった場合にどんなデメリットがあるのかなど。疑問があれば共に答えを探し、子供の考えを否定せず受け止めてあげる。

もちろん家庭の数だけ答えがあるのだと思います。

そんな風に話し合った上で、子供自身が学校に行く「理由」を自分で見つけられている事を大前提として、それでも「行きたくない」という言葉が出てきたその時。

「このまま行けなくなってしまったらどうしよう」と見えない未来に不安になったり「ずる休みを許すのは甘やかしか」などと世間体を気にするのではなく今の我が子と向き合う事こそ本当の寄り添い育児なのではないでしょうか。

「行きたくない」と伝えてくれた事を褒めてあげたいし、その言葉は親を信頼しているからこそ出せたのだから、そんな親子の信頼関係を築いてこられた事を誇りに思っていいのではないでしょうか。

信頼関係を築く為には、子供に親の価値観を押し付けずに親子で一緒に考え、そして子供の気持ちを否定せずに尊重しいつも味方でいてあげる、その積み重ねの結果であり、それこそが「寄り添い育児」なのだと思います。

周りからどんなに甘やかしだと言われても、不登校の原因は寄り添い育児だ!なんて言葉を目にしても私は自信をもって寄り添い育児をこれからも続けていきます。

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